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東京都目黒区の歴史
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所在地 目黒区中目黒3-1-6 

 実相山正覚寺は、元和5年(1619)に日栄上人によって開かれた日蓮宗の寺です。始めは碑文谷法華寺(現、円融寺)の末寺でしたが、元禄の頃、不受不施問題の影響を受けて身延山久遠寺末になりました。


                                         本堂

仙台の伊達家との関係が深く、4代藩主伊達綱村の生母である三沢初子が本寺住職4世日猷、5世日登両上人に深く帰依し、客堂や庫裡等は初子の邸宅が寄進されて建てられたといわれています。三沢初子は浄瑠璃や歌舞伎などで有名な「伊達騒動」の登場人物「仙台萩の政岡」のモデルともいわれる人物です。また、綱村も生母初子の菩提を弔うため当寺へ特別の保護をしたといい、現在も伊達家の紋の入った建具などが残されています。


                                    鬼子母神堂

 なお、鬼子母神堂には伝教大師作と伝えられる鬼子母神像が、祖師堂には11代将軍徳川家斉が江戸城中で深く帰依していたという日蓮聖人木像が安置されています。


                                      国柱法窟

 墓地には三沢初子の墓(都指定文化財)があり、境内には6代目尾上梅幸の弟子尾上梅朝が演じた先代萩の政岡を元に、昭和9年(1934)に建てられた初子の銅像があります。

 平成21年(2009)3月  目黒区教育委員会


                                         庫裡


                         三沢初子像


                    橋本牧場畜牛供養塔
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所在地 目黒区中目黒3-1-6 (正覚寺

 目黒には明治中頃から昭和初期にかけて数多くの牧場があり、地域の人々に新鮮な牛乳を供給していました。しかしそれらも目黒の都市化とともに姿を消し、今日では全くその姿をとどめていません。
 橋本牧場は明治20年(1887)頃から大正12年(1923)まで上目黒4丁目あたりに3千坪(約1万㎡)ほどの敷地で存在した牧場で、畜牛供養塔は経営者の橋本寿吉氏により牧場廃業時に敷地の片隅に立てられたものです。 
 その後、開発等により慰霊碑は移転を繰り返しましたが、平成19年(2007)に現在の場所に安置されました。区内に牧場があったことを物語る数少ない貴重な資料です。
 平成21年(2009)3月  目黒区教育委員会


所在地 目黒区中目黒3-10-5

 旧目黒村全体の鎮守で、誉田別命(応神天皇)を主神とし、天照大神を合祀しています。
 創建以来、幾度か火災にあい記録や資料に乏しく、創建年代は不明です。現在の建物は堂々とした八棟づくりで昭和11年(1936)9月の落成です。



 この神社は昔から十二座の神楽を奏することで有名で、今でも毎年9月の例大祭(第3の土、日)には演目十二座の神楽が奏されています。



 本殿の左側に神社の縁起などが刻まれている八幡神社の碑がありますが、文字は書道の大家豊道春海先生の書かれたものです。



 また境内には高さ30mをこえる榎の名木や、いちょう、けやき、しいなどの古木が茂り、泉が湧き出ている静寂な環境をつくっています。

 平成3年(1991)3月  目黒区教育委員会


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