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東京都目黒区の歴史
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所在地 目黒区上目黒2-14

 大正時代の終り頃、このあたりには小規模の乳牛牧場や馬力運送を業とする者も多く、目黒恵比寿畜舎運送組合を結成していました。その第業の小林氏や土地の開発に熱心であった神山氏等が発起人となって、牛馬の息災を護り、死後の菩提を弔うとともに、土地の開発を願い東松山市上岡の妙安寺から霊験あらたかな馬頭観音の分霊を勧請し安置しました。その後、新たに木彫24.3(約8寸)の馬頭観音像も安置され、大正12年(1923)に妙安寺住職を招いて盛大な入仏開眼式が執行されました。境内に建つ最大の碑は、その勧請記念の碑です。正面に「大正12年(1923)7月19日、馬頭尊記念 武州上岡妙安寺住職第19世仏光」とあり、背面に恵比寿や目黒の寄付者200余命の名前が刻まれています。翌大正13年(1924)3月19日に第1回の大祭が執行され、50数頭の馬も参列したといわれています。
 以後、毎月9の日を縁日と定めてきました。現在の社殿は昭和10年(1935)の建築であり、昭和31年(1956)12月に目黒銀座観音と改称されました。江戸時代からの馬頭観音信仰を伝える貴重な資料でもあります。
 平成5年(1993)3月  目黒区教育委員会

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所在地 目黒区上目黒2-1 (中目黒GTタワー)

 この社祠は第六天社と呼ばれ、最初は石川橋の付近(現在の上目黒2丁目側)にありましたが、明治末期から大正初期にかけて推進された神社合併政策により、上目黒氷川神社(現在の大橋2丁目16番21号)に合祀されました。
 その後、道路建設(現在の山手通り)により、最初にありました第六天社の土地もとり払われましたので、昭和10年(1935)11月、地主朝倉氏の協力を得て、地元融資の発起により上目黒2丁目1番6号に社祠が再建されました。
 また、中目黒駅前最開発に伴い、平成11年(1999)3月、中目黒八幡神社に仮安置されましたが、平成14年(2002)3月、目黒銀座通りに面するこの場所に移されました。
 祭神は、天神六代の神である面足尊、惶根尊です。昔、近くにあった石川田圃(旧上目黒3丁目地域)や小川田圃(旧上目黒6丁目地域)を水害や旱魃などから守る農村の守護神・厄除けの神としてまつられていました。
 現在は、健康長寿、商売繁盛、家内安全の神として地元の人たちに厚く信仰され、毎年1、5、9月の例祭には中目黒八幡神社の神官により祭事が行われています。
 平成14年(2002)3月  目黒区教育委員会



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