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東京都目黒区の歴史
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所在地 目黒区下目黒3-20-26 瀧泉寺(目黒不動尊)

 この碑は北一輝先生の顕彰碑で大川周明氏の文によるものです。
 先生は明治16年(1883)、佐渡ヶ島に生れた憂国の士で、大正デモクラシーの時代中国に渡り、中国革命を援助し又日本改造論を叫び、国家主義の頭目として、特に陸軍の青年将校を刺戟し多くの信奉者を得た。
 時適々満州事変前後より先生の思想はファシスト化し、遂に2・26事件を惹起する要因になった。勿論直接行動には参加しなかったが、首謀者として昭和12年(1937)銃殺刑に処せられた。然し先生の生涯をささえたものは奇くも法華経の信仰であったことは有名である。
 毎年8月19日の祥月命日には今も尚全国の有志が追悼法要を厳修している。

     泰叡山瀧泉寺
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所在地 目黒区下目黒3-20-26 瀧泉寺(目黒不動尊)



山の手七福神
  
恵比寿神


七福神の筆頭で、大黒天と共に商売繁盛の福神である。



池畔に三福神(弁財天・大黒天・恵比寿天)が祀られ、ここが山の手・七福神の恵比寿天となっています。弁財天は七福神中の紅一点、美しい音楽の女神である。



所在地 目黒区下目黒3-17先

 処刑された愛人白井権八と、彼の墓前で自害した遊女小紫。その悲話は『後追い心中』として歌舞伎などで有名だが、この比翼塚は、2人の来世での幸せを祈り建てられたという。

  目黒区


所在地 目黒区下目黒・品川区

 石ころが多い坂だったので、石古坂(いしこざか)とよぶようになったといわれる。また、この近くに石河(いしこ)という屋敷があったので、坂名になったともいわれる。


所在地 目黒区下目黒5-37 (林試の森公園)

 顧みれば、明治11年(1878)、東京府下西ヶ原で開始された樹木試験場の事業を受けて、明治33年(1900)、この地に農商務省目黒試験苗園が設定され、明治38年(1905)11月1日、山林局林業試験所が発祥した。
 以来、昭和53年(1978)3月、農林省林野庁林業試験場として筑波研究学園都市へ移転するまで日本の森林・林業・林産業の研究の中心として輝かしい業績をあげてきた。
 この間、数多くの国内外の研究者が、学術交流、研鑽のために、この地を訪れ「林業試験場」の名は世界に広く知れわたった。
 林業試験場は、現在筑波の地において森林総合研究所として発展を続けている。



 この度、跡地に「林試の森公園」が建設されるにあたり、林業試験場の栄光をたたえ、関係者多数のご賛同を得て、記念碑を建立する。
 平成4年(1992)6月吉日
   林業研究発祥の地記念碑建立事業実行委員会


所在地 目黒区下目黒3-20-26 瀧泉寺(目黒不動尊)

 『 阿弥陀如来 』
西方の浄仏国土に在って、凡夫を導いてくれる。
阿弥陀堂にあり






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永山
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