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東京都目黒区の歴史
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所在地 目黒区下目黒3-20-26 瀧泉寺(目黒不動尊)

 

開口(阿)那羅延金剛・閉口(吽)密迹金剛・階上には韋駄天を祀る



  『 仁王尊 』 仁王門に立つ金剛力士の二尊を云う

 第二次世界大戦の戦火は、目黒にも及び、昭和20年(1945)5月24日、目黒不動尊は、その一部の建物を残して灰塵に帰した。戦後の復興は、まず本堂の再建にはじまり、昭和25年(1950)いちはやくその完成をみた。次は、由緒正しき仁王門ということになった。昭和29年(1954)、ふるくから和菓子司として知られていた当地玉川屋3代目主人小川雄一氏りよ女夫妻は、すすんで仁王尊像の寄進を青木大僧正に申しいで、その制作を、当時本邦木彫界の雄として知られていた後藤良氏に依嘱した。後藤氏はこれを快諾すると同時に、これによって昭和の男性美を永久に留めたいと考えて、モデルとして窪田登氏を選んだ。ことは順調に進み、弟綿引司郎氏の協力をえて、昭和32年(1957)早春三尺の原型が完成した。それと同時に、後藤氏は76才の生涯を突如として閉じたのであった。原型から木に写す作業は、綿引司郎氏・■■正■氏・吉田暁未氏の協力によって行われ、昭和35年(1960)8月26日めでたく完成、のみ納め式が行われた。仁王門の完成をまって、昭和36年(1961)4月2日落慶式が行われた。その前夜後藤夫人イク女は、重荷をおろしたかのように急逝したのであった。



 『 狛犬 』

 この狛犬も後藤良氏の作品である。生前制作された石膏の原型は、転々ところをかえ、、そのたびに破損していった。後藤氏の曾孫安原森武氏は、彫刻家としてこれを正視するにしのびず、自らのアトリエに引きとって修理を行っていた。これを知った玉川屋の子息小川隆氏らく女夫妻は、本年4月逝去した母堂りよ女の善捉をとむらうため、その寄進を吉田貫主に申しでた。52年(1977)7月2日その落慶式が行われたのである。

  昭和52年(1977)7月5日 世話人代表 亀谷 子 ■記
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